統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

西村博之氏と千田琢哉氏という二人のリアリスト。

こんにちは。pepeneeです。今日は、僕の大好きな千田琢哉さんの新刊、『You can do it by learning hard.』gakken 出版 が出版されていたので、その本の感想と、同じリアリストの顔を持つ西村博之氏との対比で僕の思う事を書いていきたいと思います。

 

①千田琢哉さん独特の世界観は踏襲、さらにレベルアップされた内容。

千田琢哉さんと言えば、経営コンサルタントとして活躍され、出版業界にビジネス自己啓発の分野で成功を収めている文筆家です。知る人ぞ知る、ビジネス書のカリスマ。特に20代、30代を中心に若い世代に強い影響力を持つ実力派リアリストです。しかしながら、書籍の内容は、非常に現実を見据えて書かれており、そんな厳しい現実を生き抜くために、実力を高める方法を不器用な人程ありがたく心のこもった文章でしっかり教えてくれる、日本に数少ない愛情深いリアリストです。さっそく新刊、『You can do it by learning hard.』の僕の心に刺さった部分を紹介していきたいと思います。いきなり僕がこの本で何に一番感動したか。それは、”すべての学問は、哲学に通じる”というリアリストの千田琢哉さんらしい情緒的な項目です。詳しくは新刊を購読し、読んでいただくのが一番ですが、Chapter 3 Section25 で記載されている内容、”数学も物理も化学も生物も医学も、最後は哲学に繋がる。”という内容です。この記述によると、すべての学問は哲学に通じるー、つまり、生きるとは何か、人間はどう生きていけばいいのかーという答えの出しづらい難問に、すべての学問は最終的に通じているという素晴らしい内容で、人間だけが考えてしまう、生きる意味というデリケートで生きる価値を左右する学問(哲学)を全肯定する意見に、僕は読みながら泣くことをこらえる事が出来ませんでした。

 

②生きる意味を考える生き物。そこにあるのは、究極の人間としての尊厳。

僕は、このフレーズに涙したのは、学生時代、何冊も自己啓発本を読み漁り、”生きる意味”を見出そうともがいていた過去があるからです。当時、『ソフィーの世界ヨースタイン・ゴルデル著や、『七つの習慣』スティーブン・R・コヴィー著等、様々な哲学書も読んで、哲学に親しみを抱いていた時期が多分にあったからです。しかし、そんな僕を尻目に、世界は生きる意味など考えるだけ無駄、生きる意味など無いー。そんなニヒリズムというすべては相対的で、絶対的な答えなど存在しないという考え方が主流を占めていました。哲学を学び、また哲学を愛する僕は、世間という冷たい世界に、一時期敗北する事になります。そう、統合失調症という精神病に罹患することでー。

 

③哲学のない生き方は、人間の尊厳のない生き方に等しい。

そして、長い月日を迎え、僕は、ニヒリズムが蔓延する世界で、資格を取得することで生き延びることが出来ました。しかし、その戦いの中で失った純粋な愛情や魂は、完全に生きる強さと引き換えに、失ってしまいます。そんな中、西村博之氏のYOU TUBE動画に出会います。彼の主張は世知辛い世の中を生き抜いた僕の経験則から、かなり的を得た発言をしていると思いました。”少子高齢化で日本オワコン””ベーシックインカム導入したほうが日本人、幸せになれる。””人間が生きる意味なんてたいしたことない。”そうなんです。今の世の中を本当に言語化すると西村博之氏の話すリアリズム、究極合理主義の主張に、ほとんど反論できないのです。つまり、人が生きる意味は、”無い。”という意見。”毎日、楽しく生きればいい。他人の目を気にせずに。”僕は、この意見、実はいまだに反論できないのです。しかし、心の奥深いところで、どこか悲しい考え方だな・・・と思っていました。それは、生きる意味を考える過程を含め、生きる意味を自分なりに答えを出し、信念をもって生き抜くことこそ、大切にするものではないかー。そんな自分もかすかに生き残っていたからです。それを、人は尊厳と呼ぶのではないかー。

 

④今だからこそ、答えのない問題に取り組む”覚悟”が大切かもしれない。

千田琢哉さんのこの新刊で、すべての学問は哲学に繋がる、という主張は、千田琢哉さんの大学時代のご学友との語らいから来ています。何か、とても大切な事を思い出した気がしました。そして、本書の最後の締めくくりとして、僕も大好きなセーレン・キルケゴールの意見を引用し、”とりあえず、今を大切に生きようよ。”という言葉を掲載しておられました。西村博之氏というリアリストと、千田琢哉さんというリアリスト。最後の結論としては、同じ(?)ところにいきついているのかな・・・と感じました。僕は、西村博之氏の意見を聞いて、生きるのが楽になるのなら、それはそれでいいのではないか、そう考えている派です。しかし、僕個人の人生の”生き方”が大きく共感するのは、千田琢哉さんの哲学思考派です。ただ、今回西村博之氏と千田琢哉さんの二人のリアリストをご紹介させていただいたのは、”生きる意味を考える事は、意味がある。”そう僕の最終結論をお伝えしたかったからです。そして、西村博之氏にも、おそらくその命題を考えていた時期があったのではないか・・・そう推察するからです。そして、これをお読みになっている皆さん、あなたがもし、”生きる意味”を考えてしまって苦しいなら、哲学書に手を伸ばしてみてもいいかもしれません。しかし、その答えは、結局自分で手に入れるしかないのが真実かもしれません。周囲に合わせ、ニヒリズムの一員になっても、自ら命を絶つよりは、ずっとましなのですから、そうなってしまう事を僕は否定しません。あなたらしく、生きる意味を求めながら、時に絶望しながら、”とりあえず、今を大切に生きようよ。”

 

このブログは、精神疾患等に罹った方が、幸せに生きるヒントを書いています。どうぞこれからもよろしくお願いします。