統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

岡田尊司 著 死に至る病を読んで。

こんにちは。pepeneeです。今日は僕の尊敬する精神科医岡田尊司先生の新刊「死に至る病」を読んだので、その感想を書いていきたいと思います。

 

①遺伝的要因と考えられてきたADHDが、統計的に環境要因であることが明らかに。

近年急増する児童のADHD、また大人の不注意、多動性のADHDは従来から遺伝要因の強いものであるという定説が主流でした。しかし、岡田尊司先生は膨大な研究論文に目を通し、これらADHDの現代の急増は環境要因、つまり家庭環境による主に母子間の愛着障害が起因していると結論付けます。愛着障害とは何か。そう、それこそ適切な親子間での愛情を成長過程において体験できなかったことで生じる様々な障害を言います。具体的には虐待、ネグレクト、条件付き愛情(勉強が出来たら愛してあげるなど。)などの環境で心の安全基地(セーフティーベース)を持つことなく不安定な心を抱えて成長してしまった児童(若しくは成人した大人)が社会生活等に不適応を起こし、生きづらさを抱えるという事です。

 

②様々な精神疾患が大きく愛着障害と結びつく可能性がある。

岡田尊司先生は、この愛着障害からほとんどの精神疾患等の原因を世界中の論文と、長年の臨床経験で関係づけることが出来ると話します。僕の統合失調症の闘病、就労経験を振り返っても全く同意します。例えば、「うつ状態(気分変調症)」「不安障害」「不眠症」「依存症」「摂食障害」「境界性パーソナリティ障害」「抜毛壁」「線維筋痛症」「慢性疲労症候群」「慢性頭痛」「片頭痛」「過敏性腸症候群」等挙げればきりがないのですが、その症状の大本は愛着障害と結びついている可能性が高いという事です。

 

③人は、無条件に愛される体験が無いと脆くなる。

人間の喜びは、三種類しかないと岡田尊司先生は言います。これは僕もショックでしたが、挙げてみます。

1、お腹いっぱい食欲を満たす、セックスをするなどのエンドルフィン系の快楽。

2、目標などを立て、それを遂行し、目標達成する喜びを司るドーパミン系の快楽。

3、愛するものと触れ合い、愛するものと顔を合わせる安らぎのオキシトシン系。

それ以外はすべて苦痛でしかないといいます。この三種類の人間の喜びで、一番健全なのは3番の愛情を司るオキシトシン系です。では、家庭環境が悪く、このオキシトシン系の脳の発達が上手くいかなかった場合、人間は生きていくのに喜びが無いと死に向かいやすい為、1、食欲に依存したり、セックスに依存したりする。または、2、目標などを立て、それを遂行することで達成感を得る。(しかし、この2番の喜びの得方は永遠に目標を立て、永遠にそれを達成する必要があります。頑張る以外に生きる道はないというタイプ。また、パチンコ依存などはこのドーパミンを楽に得られるショートカットの機能を担うため、結果が伴いやすい目標を遂行し、達成感を得る方が健全ではあります。)という生き方をせざるを得なくなります。この2番の目標を立て、達成することで快楽を得る方法は、愛着障害を持っている人からすると、愛情という自分のすべてを受け止めてくれる大地が無く、頑張り続けるか、大地が無いため、死ぬか、という極端な危機感がある訳です。上手くいけば、大成功し歴史に名を遺す働きをしますが、いつまでたっても安らぎが得られません。

 

オキシトシン系の愛着を支える”お世話をする”という大事な行為。

現代の社会は、経済合理主義で、とにかく”お世話をする”という行為を省こうとします。合理的に効率的に楽にお金を手にするためにはどうすればよいか、だけを考えて生きてしまうと、この一番生きるために大切な自己肯定感を育むオキシトシン系の脳内形成がおろそかになってしまうのです。赤ちゃんが泣いたらおむつを替え、おっぱいをあげる。一緒に笑う。そんな”お世話”には、人間が生きる上で一番大事なオキシトシン系を活性化させる効果があったのです。そして、”お世話”を省かれた家庭で育った人は、また自分たちが作り上げる次の家庭で生まれてくる赤ちゃんをどう”お世話”していいかわからずまた”お世話”されない児童を形成するー。こうして、オキシトシン系の発達が上手くいかない大人が社会に蔓延してしまう訳です。そして、最初に述べた様々な精神疾患等に繋がり、社会は生きづらさを抱えた人が膨大な数を占めてしまうのです。それを、愛着障害と著者は言います。

 

⑤希望はある。

さて、では愛着障害を抱えて大人になった人は、愛着障害を克服できるのか。答えは出来る。です。著者は、愛着障害を克服し、安定したオキシトシン系の脳機能が回復するケースを三つ挙げています。

1、親(または親代わりの存在)が必死になって関わる中で親の方がすっかり変わったら、自分も変わっていたというケース。

2、実家を離れて、そこで信頼できる人に出会って落ち着いたケース。

3、自分が本当にどん底を極め、とことんまで落ちた時に諦めがついたケース。

僕の家庭内の虐待ケースでは、基本的に2のケースに該当したと思います。僕のケースは、障害年金を足掛かりに、安い公営住宅を借り、一人暮らしをし、虐待と自立を妨げる親子関係を切断し、信頼できる精神科医と話し合いながら現在の寛解(病気の症状がおおよそ落ち着く状態)まで持ってくることが出来ました。

 

⑥カギはセーフティベースの原則。

僕のブログではセーフティベースの重要性が初期の頃にだいぶ丁寧に書かれており、僕のケースではこの考え方で成功しました。しかし、すべての人が愛着障害を克服するにあたってこの方法が当てはまるとは限りません。(もし、興味がある方は、僕の過去のブログで、セーフティベースの原則を扱っているページが沢山ありますので、見てみてください。”心に痛みを抱えるすべての人へ~今までのまとめ~”を観ながら読み進めていくと経緯がわかりやすいと思います。)今回は、セーフティベースの原則で大切な”ほどよさ”を紹介したいと思います。セーフティベースの原則において、完璧さはいりません。大事なのは、子供が関わってほしいというサイン(泣いたり、ぐずったり。)を基本的に答える応答性。これが無いとネグレクトと同じになってしまいます。そして、子供の喜怒哀楽に同じように共感して、感情を分かち合う、共感性です。この二つは、自分の子供がかわいくないと感じてしまう親御さんからすると、だいぶ難易度が高い事だと思います。しかし、自分自身のオキシトシン系を発達させるため、また、我が子のオキシトシン系を発達させるためにも、出来るだけ心がけてほしいと思います。しかし、義務感で応答性ばかり完璧にやろうとしても、上手くいかないところが難しいのですが、子供が笑っている、心地よい、といった感情には、素直に自分の中に湧き上がってくる共感を子供と感じ合ってください。この応答性と共感性のバランスの取れた”ほどよさ”が愛着障害を克服する上で大切になってきます。もちろん、この行為こそ今現代が一番軽んじている”お世話”です。もし、このブログをきっかけに愛着障害に興味を抱いた方は、この岡田尊司 著 「死に至る病」 光文社新書 を皮切りに、岡田尊司先生の著作を読んでいってみてください。本当の真実に気付くきっかけになると思います。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています、これからもどうぞよろしくお願いします。