統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

孤独に耐えると誓ったあの日。

あけましておめでとうございます。pepeneeです。皆さんは良い新年を迎えていらっしゃるでしょうか。素敵な一年になりますようにお祈り申し上げます。さて、今日は、自由と孤独について少し書いていきたいと思います。

 

①自由と孤独は表裏一体。

人類が何百年も手に入れたいと恋焦がれた自由。自由とは、何にもとらわれない自分の意志で生き、自分の行動に責任を持つ覚悟からくる主体性です。少し前は日本でも悪しき因習が幅を利かせる文化があり、(今でも残っている地域は多いですが)まだまだ女性は家事と育児を行うのが当たり前、男性は仕事一本という名残があります。まあ、現実社会では、共働きの世帯がほとんどだと思いますが。その因習の中に、行き過ぎた躾と名付けられた体罰などが児童を苦しめていました。現代では”虐待”という言葉が当てはまるのでしょう。僕の家庭は父親がどうしてなのか、よく家庭内暴力をふるう男性でした。母は叩かれ、殴られ、僕は母を守り、幼子の弟を守るために父親の暴力の盾になるためにいつも身を張っていた記憶があります。父親の家庭内暴力はいつ始まるのかわかりません。当然体はいつも緊張状態にあり、体内の偏桃体から副腎へコルチゾール等のストレスホルモンを分泌していたのでしょう。いわゆる戦闘モードです。このモードにさらされていると、記憶力を司る海馬や、創造力を司る大脳の機能を弱める事が研究で分かっています。僕は生まれながらに脳機能低下のハンディキャップを負って生きる事になります。学校では、なかなか周囲になじむことが出来ません。なにしろ、家庭という恐怖支配の文化から、序列と規則の表の社会に突然放り込まれる訳ですから、人との関わりを作る方法が全く身についていない僕はなかなかついていけません。しかし、学校では”勉強”が出来れば”先生”という存在が僕を認めてくれることは気づきました。小学生まで、非常に学力が高かった僕はこの”勉強”で世渡りをしてきたのだと思います。その後、3月生まれで早生まれだったこともあり、体の成長が一年遅い僕は体育ではどうしても周囲についていけず、また、周囲から浮いてしまうため、中学生の時に大きないじめにもあっています。この時の経験は、現在の体を鍛えて筋肉をつければ、周囲に舐められないという考えを持たせているある意味でのきっかけになっていると思います。”勉強”と”運動”。この二つで結果を出せば、生きていく事が出来る。そう感じていた僕は、高校生の時、陸上部に入り、猛練習の末、駅伝レギュラーを総なめにしていきます。そして、一年の浪人生を経て、第一志望の大学に合格。自分は家庭という恐怖の因習、そして、社会という”勉強”を中心とした競争主義という因習になんとか打ち勝って自分の生きる自由を手に入れました。それは、過酷なサバイバルの世界でした。

 

②自由という成功の裏に隠された孤独。

その後、家庭での虐待が主なきっかけに28歳の時、統合失調症に罹患。第二のサバイバルが始まりました。様々な福祉、介護での仕事を通して介護支援専門員等の資格を取得していった経緯は、このブログで綴った通りです。そして、複数の資格を取得することで、どこでも働けるという自信につながりました。まさに、自由という成功をつかんだといっていいと思います。しかし、その裏には無数の挫折と苦難を乗り越えるための試行錯誤と挑戦、努力がありました。そのすべては自分自身の主体的な決意であり、そのほとんどの時間を一人の孤独な時間で乗り越えてきました。まさに、自由と孤独は表裏一体なのだと、実感しています。

 

③これからも、孤独に耐えると誓う。

僕は、このような少し特殊な環境を生き抜いた人間です。そんな僕が社会になじめず、闘病生活をしていた時に出会った言葉があります。”人間は、一生勉強、一生成長”という言葉です。この言葉は、僕の人生を支えてくれていると思っています。思わず誰かとつるみたくなる気持ちをぐっと抑える。つい、他人に愚痴を言ってしまいそうになる。そのたびにこの言葉を胸にかみしめ、生きてきた。そして、これからもこの言葉通りに生きていく。そのために、孤独に耐えると誓う。なれ合いではなく、自立し合った人間同士がお互いを本当に助け合える関係こそ、依存から脱却した真の思いやりの人間関係ではないでしょうか。人間は弱い。だから群れを成す。そして、弱者をあぶりだし、いじめという集団形成の基礎を延々と続けていく。これは人間の本能です。しかし、僕はいつでも弱者を守り、助ける人間であり続けたい。もしそれが社会のルールにそぐわない態度だとしても、いじめや虐待の辛さを嫌というほど知っているからこそ、このポジションは守り続けたい。

 

④やがて、次の世代にバトンを繋ぐ日まで。

僕はもう44歳です。このような過去をもつ自分に共感してくれるパートナーが見つかるのは難しいと思います。そして、子供をもうけるのはかなり難しいと思います。だから、誰かが僕という生き方を見ている、そして、今日もその僕の生きざまを見て、何かを学び取ってくれる誰かがいる事を信じて、毎日、”一生勉強、一生成長”を続けていきたいと思っています。

 

2020年、新年に少し重たい内容のブログになってしまいました。いつもこのブログを読んでくださっている方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。今日は、pepeneeの心の生きる指針について書いてみました。

 

このブログは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。これからもどうぞよろしくお願いします。