統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

統合失調症に罹ってから。

こんにちは。pepeneeです。今日は、統合失調症発症後、しばらくしてどのように時間を過ごしたかを書いていきたいと思います。

 

発症し、三回の措置入院をした僕。精神病院ではたくさんの出会いと気の合う仲間に出会うことが出来ました。みんなそれぞれいろんな過去を持っていて、中には詳しい話をしてくれない仲間もいました。みんな、それぞれ心の傷を抱えていることはわかりました。そして、とても繊細で優しい人たちばかりだということもわかりました。実をいうと、二回目の措置入院と三回目の間には二年程の間が空いており、僕は社会復帰の為にじたばたしていました。まず、正義感の強かった僕はドラマ”カバチタレ”の影響を受けて高い教材を買って行政書士の受験勉強を始めました。二年間、必死に勉強したのですが、二回受験し、二回とも不合格。そして、薬を飲まなかった時期もあり、二回目の不合格を知った時にまた幻聴が聞こえ始め、とうとう二階の窓から飛び降り自殺を図り、そのまま救急車で運ばれ三回目の措置入院となりました。

 

また、アルバイトでも始めようと、何を思ったかバス運転手になろうと決意し、大型自動車二種免許を取得しようと自動車学校に入学したりもしました。そして、無事単位を取得し、試験場で学科もクリア。見事に大型二種免許は取得できました。しかし、バス会社ではまったく運転できず、統合失調症の精神不安定が随所に見られ、赤信号を見落としてわたってしまったり手が震えて止まらなかったり、まだ心のトラウマをセーフティベースの確保や自分自身が他者にセーフティベースになる過程を踏んでいなかった為、常に心が不安定で、仕事になりませんでした。そんなことが行政書士受験の不合格と重なり、三回目の措置入院

 

ここで運命の出会いを果たします。看護師のKさんです。Kさんはとても優しく、僕が不安定になってKさんのところへ行けば必ず相手をしてくれます。僕は、初めて信頼できる人を見つけることが出来たのです。そして、ある昼食の時、正面に座っていたおじいさんにヤカンでお茶を継いであげたところをKさんが見て、”介護福祉士なんか向いてるかもしれん”そういってくれたのです。行政書士もバス運転手も挫折した32歳の僕は、”これだ!もう一度チャレンジするぞ!”と退院してすぐに実家から近くの専門学校に入学依頼を申し込んでいました。僕の介護業界への挑戦が始まったのです。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いていきます。これからもどうぞよろしくお願いします。