統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

統合失調症に罹ってから2。

こんにちは。pepeneeです。前回に引き続き、僕の体験談です。三回目の措置入院を経て、Kさんという信頼できる看護師さんに出会いその看護師さんに”介護福祉士とか向いてるかもしれん。”と助言を受けた僕は退院後、即座に近くの医療専門学校に願書を提出しに行きました。信頼できる人の助言。なぜだかこの道しかない気がしました。

 

とはいえ、32歳から専門学校。卒業のころには介護福祉士が取れますが、そのころには35歳。遅すぎないかな?とふと感じながらも、もうこの頃は今までの失敗にめげずに実行実行・・・行動を起こすしかないと自分を奮い立たせました。もちろん、専門学校の一つ上の先輩は19歳の若い人たち。同級生は18歳でした。僕はプライドをかなぐり捨てて、若い人たちの間に入ってコミュニケーションを図りながら年齢の垣根を越えてそこから勉学に励みました。専門学校に行っている間は、不思議と統合失調症の症状はあまり出ませんでした。同級生たちも僕を受け入れている様子だったし、なにより学生生活そのものがとても新鮮で楽しかったからというのもあるからでしょう。しかし、学校祭などのイベント事になると予定通りに事が運ばず、気持ちが不安定になって体が震えてくることもありました。

 

学生時代は2年間。学習の一環として、職場体験の実習が三回ありました。初めて見た介護の現場は、想像を絶する過酷なものでした。学校では利用者さん主体の相手に尽くした心ある介護、という理念をずっと習っていましたが現場は施設に入居しているおじいさんおばあさん、身体障碍のある方、知的障害のある方等とても人間扱いされていない状況でした。現在は少しずつ改善されているとは思いますが、利用者さんに罵声を浴びせる介護職員も見かけたりしました。ここで感じた僕の感想は介護施設は地獄だな・・・と思いました。

 

学校の”利用者さんに寄り添った心のこもったケア。””利用者さんの安全、安楽、自立を促すことを第一に考えたケア。”そんな理想を厚生労働省認可の専門学校では教えられます。しかし、介護の現場はそんな理想では回りません。人手不足と職員の精神的肉体的疲労でストレスを極限まで抱えています。せめてお年寄りの方々に敬語で話して、少しでも安らいだ気持ちになってほしい。僕はそう思いながらも、実習生の立場の弱さからそれすらできませんでした。この時の三回の実習を通して、特別養護老人ホームをはじめとする老人施設は”就職したくない”と思ってしまいました。

 

とはいえ、実習の評価や学業の成績はトップだったので成績最優秀賞を受賞して卒業しました。念願の介護福祉士になれたのです。今考えると、32歳からの挑戦は半ば無謀なものだとも言えましたが専門学校のよき先生方、同じ学びを共にする学友に恵まれ、無事卒業できたと思っています。

 

この今日の文章を見て、同じ精神疾患に罹っている方は僕と同じ道を歩むことをお勧めはしません。まだ、若さという武器でつき進めた体力ある年齢であったこと。その一点においてクリアすることが出来たと、正直に思います。今、精神疾患にある方はしっかり休養を図り、そして自分の心の声に正直になって”自分のやりたいこと””将来なりたい自分”を考えて慎重に行動してくださいね。ただ、介護福祉の世界の入り口から、僕の場合は障碍者、障害児福祉、障害児保育等に導かれていきます。その過程で岡田尊司先生のセーフティベースの原則に出会い、利用者さんの主体性を伸ばし、安心を与え、なおかつ自分自身の脆かった心の強化と統合失調症の克服へと繋がっていったのです。僕にはこのルートが一番良かったと結果論ですが思います。一つだけ言えるのは20代、30代は体力があります。少々精神疾患があっても前へ進める時期でもある訳です。若い時に様々な事に挑戦し、失敗も成功も経験として蓄積する事には大いに意味のある事だと思います。ただ、無理だけはしない様にしてください。僕もあまりに心が疲れた時はよく欠勤していました(笑)。そして転職も(笑)。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きる方法について書いています。これからもどうぞよろしくお願いします。