統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

統合失調症と付き合いながら起業のメンバーになる。

こんにちは。pepeneeです。前回で、介護支援専門員(ケアマネジャー)になるまでの経歴を書いてきました。今回は、僕のちょっとした挑戦を書いてみたいと思います。

 

高齢者福祉3年、児童福祉3年を過ぎ、登録ヘルパーの仕事を2年半続け、児童とのかかわりに喜びややりがいを見出していた時期、僕は少し欲が出てきました。このまま登録ヘルパーとして人生を終えるのか・・・そして、当時の僕は統合失調症の影響も考えて、パートタイム(週4~5回、平均3~4時間)の無理のない働き方をしていました。服薬管理をしっかりしていても、過度なストレスが心身に溜まると突然の急激な精神不安定が起き、世界の認識がしづらくなる、というウィークポイントがあったためです。一番怖かったのは、日中一時支援にお世話になっていた時に児童達を送迎で各家庭に送り届ける仕事がありました。その時はフルタイムで働いていたのですが、児童を全員各家庭に送り届けて事業所に帰る際、車を運転している際に精神不安定の発作が起きた時です。その時は急激な精神不安定になる事は半年に一回位でしたが、もし、児童を乗せて精神不安定になり、車の運転がおぼつかなくなった場合交通事故にもつながりかねません。統合失調症の定期的に襲われる精神不安定は気合や根性ではなかなか乗り越える事が出来ないものでした。児童の生命の安全を理由に、また統合失調症をクローズにして働いていた僕はその日中一時支援の事業所を一身上の都合という形で退社しました。そのあと、車の運転のない登録ヘルパーで統合失調症をまたクローズにしてパートタイムとして働きました。統合失調症を職場に公言せず周囲の健常者と同じくらいの働きをしなければならない宿命は、大変苦しいものがありましたが、一つ一つ苦しみを乗り越えながら頑張ってきた部分はあると思います。たとえ就職先が見つかりやすい介護、福祉の業界でも、統合失調症等、精神疾患を公言しないクローズの働き方は健常者の何倍もの苦しさがあることは事実だと思います。

 

さて、これまでの高齢者介護3年、児童福祉3年の転職だらけのキャリアの中で、利用者様のために出来る限りのことをする、児童福祉の分野では、相手の心のセーフティベースになることを第一に療育に取り組んできた僕ですが、この頃になると上記にあった統合失調症の精神不安定もかなり減ってきていました。穏やかで、与える事を率先していた僕の働き方も相まって、僕自身のセーフティベースも強く、確かなものになってきており、幼少のころの親からの虐待や、学生時代のいじめの経験による対人関係の恐怖感や不安感もだいぶ和らいできているのがわかりました。ちょうどその頃、登録ヘルパーの僕の上司である方(サービス提供責任者)が移籍することになります。その後にサービス提供責任者についた方が、どうしても僕の利用者様第一主義とは考えが合わず、その方とよくぶつかっていました。僕は当時40歳前半。統合失調症の症状もだいぶ落ち着いてきたことだし、家庭や子供を持っている訳じゃない。現在の仕事もパートタイム。それならば、自分の理想とする福祉を実現するために挑戦してみるのも悪くないのではないか。そう考え始めました。

 

そして、スマホで福祉の求人案内を時間があるときに目を通していた折、児童発達支援、放課後等デイサービスの起業立ち上げの募集をしているのを発見。その責任者の応募をしていました。放課後等デイサービスの責任者(児童発達支援管理責任者)になるための要件、介護福祉士等の国家資格を持ち、福祉、介護分野での実務経験5年以上(また、その5年のうち、障碍者(児)福祉に三年以上従事。)している、という責任者要件を満たしていた僕は、自分のセーフティベースの原則に重点を置いた児童の発達のお手伝いができるのではないか・・・そう思い至り、その起業立ち上げに参加するべく放課後等デイサービスの社長にコンタクトを取ったのでした。そうして、2年半務めた登録ヘルパーの仕事を退職し、41歳からの初めての事業立ち上げ、起業にチャレンジすることになったのです。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。今後ともどうぞよろしくお願いします。