統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

統合失調症を抱えながら起業のメンバーになる8。

こんにちは。pepeneeです。前回では、プレイングマネジャーでは、現場の効果が顕著に出るけれども、プレイングマネジャーの負担がどうしても重くなってしまう事についてお話ししました。

 

今日は、統合失調症を抱えながら、プレイングマネジャーを続けることに限界を感じ、マネジャーに極力務めたことによって起きた現象について書いていきたいと思います。結論から言いますと、セーフティベースの原則をしっかり応用したプレイングマネジャーが、さらにケアマネジメントのPLANに立てられているニーズに対する目標を考慮に入れて児童と向き合う時間を取る、という事がなされなくなると、現場は”BEST"ではなく、”それなり”の職場になります。急にプレイングマネジャーが現場を離れたからと言って”最悪”の状態になるのではなく、各々の職員(プレイヤー)が、”児童に対して持っている熱意”に比例して放デイの雰囲気は明るく活気あるものになったり、時間が過ぎて自分の時給分だけの働きをしようとするプレイヤーが多くいれば、放デイの雰囲気は重怠く、暗い殺伐とした雰囲気になります。それは、その放デイの職場のプレイヤーの児童に対する思いがあるかどうか、にかかっていると思います。プレイヤーの仕事に対する、また、児童に対する姿勢や熱意は複数いればその人々分の思いがあるので、意識が高めの人が多ければ、明るく活気のある雰囲気になり、また、意識が低めの人がいる職場では、暗い殺伐とした雰囲気になります。なので、全員が意識が低い職場も可能性としてあまりなく、全員が意識が高い職場もあまりありません。なので、セーフティベースの原則と、ケアマネジメントのPDCAサイクルを実践する高度なプレイングマネジャーが職場を離れると、現場全体の意識ダウンにはなりますが、プレイヤーの質が比較的高い、低いはありますが、だいたい平均され、”それなり”の職場になることが多いと思います。

 

なので、児童の過ごす環境である放デイを常に意識高く保っておくためには、やはり、高度なプレイングマネジャーが現場に居続ける必要があると僕は思っています。それが児童の為に良いことだと思います。

 

また、セーフティベースの原則と、ケアマネジメントのPDCAサイクルは、どちらが現場で優先されうるべきか、という問題も、僕は迷わず、セーフティーベースの原則だと答えます。児童の心の安全基地を一番に確保する事こそ、児童の情緒の安定、トラウマの改善、発達の促進、本人の主体性の発揮においてとても大切だからです。この基本となるセーフティベースの原則が適用されている前提で、ケアマネジメントのPDCAサイクルを掛け合わせるとさらなる効果が期待できるわけです。ただし、このケアマネジメントのPDCAサイクルも、保護者様や養育者(保育士、小学校教諭等、児童指導員含む)が自分たちに都合の良い、育てやすく大人の言う事を素直によく聞くためにニーズを立て、目標を立てては逆効果になってしまいます。保護者様や、養育者が自分のエゴを満たすため、いう事をきかすため、社会的に恥ずかしくない様に世間体を気にしないで済むような学力や振る舞いを身に着けさせるため、社会というよくわからない人を幸せにしないシステムに思考停止させても適応させるためのニーズは持ってはならないし、また、それを実行させる目標を立ててもいけないのです。あくまで、その対象の児童が今も、将来もどのようにしたら幸せに暮らせるか、どんなスキルを身に着けたら将来の選択肢が増え、人生を楽しめるようになるのか、常に児童の目線で目標を立てて実行していかなくてはなりません。また、立てた目標でも本人にとって辛すぎて、生活の幸福度を下げたり、そもそもその児童の出来ない事を目標にしてしまっているケースもあるので、そんな場合は、柔軟に目標を変えたり、変更、削除する必要があります。

 

結論としては、プレイングマネジャーがセーフティベースの原則を適用し、児童の心の安全基地になりながら、PDCAサイクルが本当にその児童に適しているのか(向き不向きも考慮し)都度判断して実行に移し、現場から得た情報からPLAN(目標)の見直しをしていくのが一番良い形であると考えます。そう言ったわけで、プレイングマネジャーは現場を離れない方が良いという結論に至ります。

 

統合失調症を抱えた僕は、身に降りかかる重労働が溜まり、いよいよ限界まで頑張ってしまいました。結果、どうなったかは次回以降お話しします。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。今後ともどうぞよろしくお願いします。