統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

個人の基本的人権、自由と世界の悪意2。

こんにちは。pepeneeです。今日は前回の続き、時代の移り変わりとその中の構造改革の過ちについて、書いていきます。

 

①リベラル派も、保守派もどちらも新自由主義

新自由主義という言葉をご存じでしょうか。すべての物事において、自由こそ善であるという考え方です。バブル崩壊以後、日本でも世界でもすべてこの新自由主義の思想の元、政治も経済も構造改革を推し進めてきました。政府による市場や統制は良くない。貿易も経済も市場という自由な人々の行動によって自然に需要と供給が合致してよりよく発展していくはずだ。構造改革によって、規制の撤廃、貿易の自由化、郵政、国鉄の民営化、株式市場の海外資本の解放。こうして、保守であるはずの自民党は、リベラルであるはずの新自由主義を掲げて構造改革バブル崩壊後、ずっと推し進めてきました。そして、水道事業も民営化する法案が通りましたし、海外からの移民の受け入れを推し進める法案も可決されました。保守を名乗る自民党は、”保守的新自由主義”だったわけです。そして、野党はリベラルの新自由主義をもっと推し進めた個人の解放、フェミニズム、性的マイノリティの基本的人権の確立、国家の概念の喪失を推し進めた”進歩的新自由主義”に変化していったのです。そう、与党も野党もどちらも”新自由主義”なのです。

 

②日本人という既得権益

さらに、構造改革を進める裏には、経営者、富裕層、資本家が都合の良い政策を推し進めていくのです。国鉄郵便事業にはそこに関わるたくさんの既得権益に群がる甘い汁を吸っている人間がたくさんいる、民営化するべきだ!という訳です。既得権益とは、市場で上手く回らず、弱者救済や産業の保護が必要なものに対して政府がルールや規制を設けて守っている側面も多々あるのです。しかし、”既得権益”と聞いただけで、デフレで苦しんでいる国民は、恨みをその既得権益者にぶつけて、けしからん!と世論を形成してしまうのです。そして、その既得権は富裕層、資本家に回っていってしまうのです。このまま既得権益が撤廃する動きが進めば、日本人であることも、既得権益になり、民主主義、国民主権まで既得権益化してしまいます。

 

③民主主義とグローバル自由主義は矛盾する。

グローバル自由主義が進み、日本という国にどんな他国の民族が自由に入国できるようになる・・・リベラルな観点から観ると、公平で自由な素晴らしい事の様に思えるかもしれません。しかし、それは、日本人であることの既得権益を他国民に撤廃している

ようなものです。日本人にどの国の人でも自由になれるという事は、日本人である事の参政権、つまり民主主義を失ってしまう事を意味します。グローバル化は、あらゆる国の人々が日本の政治や経済を決定してもかまわない・・・そう思う人は、存在するのでしょうか?グローバル化国民主権は同時に成立しないのです。その意味で、イギリスのEU離脱は非常にわかりやすい例でしょう。彼らイギリス人は、自分たちの手で、イギリスという国を民主的に進めていきたいと思ったからこそEUを離脱したのです。

 

④個人の基本的人権を守りながら、保守に戻らなければならない。

急ぎすぎた新自由主義のなれの果てが、この日本と世界です。我々は、個人の基本的人権を守りながら、昔に存在していた日本人の文化、日本人として守らなければならない事、世界の文化の多様性を認める事、そして、世界の各国が大切にしている守らなければいけないものをもう一度、再確認して、行き過ぎた自由主義を止め、過去の遺産を復活させなくてはいけないところまできているのかもしれません。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。これからも、どうぞよろしくお願いします。