統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

橘玲 著 上級国民/下級国民を読んで。

こんにちは。pepeneeです。今日は、橘玲さんの新刊が出ていたので、読ませていただきました。その感想を書いていきたいと思います。

 

①世界的に、富裕層と貧困層に二極化してきている。

まず、受け止めたくない現実からですが、世界的にお金や、社会的地位、精神的自由度など幸福に生きるための条件が整っている一定層と、お金も、社会的地位も精神的自由度も低い層があり、それが先進国を中心に二極化している、日本も例外ではないという現実があります。なんだか、認めたくない事実ですね。しかし、物事の本質は、そう簡単に割り切れるものではないのです。

 

②世界の方向性は、リベラル化、努力が報われる知識社会になっている。

大前提として、貧乏な国民と富裕層がいること自体、許せないという意見も多数あると思います。しかし、ことはそんな単純ではないのです。歴史を振り返ると、今ほど個人の自由が認められ、個人の意思を尊重される恵まれた時代は今以外存在しないのです。少し前まで、女性は男性の所有するイエのものだったし、職業だって長男がイエの家業を継ぐのが当たり前の時代があったのです。現在の”自分の人生は自分の意志で自由に決めて生きる”という当たり前とも思える価値観が本当に当たり前になったのはつい最近なのです。そして、自分の人生を自分の意志で自由に決めて生きるとはつまり、自分の人生の責任は自分が取り、代わりに自分の思い描く夢や目標に近づくために努力することは当たり前となりました。この論理、とてもまっとうな意見に聞こえますよね。しかし、努力して大学に行く事や、専門性の高い収入の多い仕事に就くためには、本人の努力を担保する持って生まれた”知力”がベースにあります。良い暮らし、自由なライフスタイル、魅力的な伴侶、それらを目指すのは自由。しかし、生まれた環境が貧しかったり、生まれた国が内乱であったり肌の色が違ったり、障害を生まれもって抱えていたりこのような自分の努力ではどうしようもないことに関しては公平に差別してはならない、そして、そのようなハンディキャップを努力ではねのけ、社会的に成功をおさめ、欲しいものを得る事は称賛するー。なぜなら、自分でどうしようもないことは公平に見なければならない、スタートラインが違っても、努力次第で公平性を保てる社会にすべき。それこそ、現在の世界で起きているリベラル化なのです。しかし、この論理、”知性”は努力すればみな平等に能力として上がっていくという前提で成り立っているのです。

 

③社会で成功するには、学歴、言語の理解力、数学的思考が必要な社会。

ほとんど社会で成功するためには、学力が基礎にあって、その学力を伸ばし、高学歴を取得し、また、さらに専門職に就くためには法律などの言語の読解力や、会計、税務やアナリストに必要な数学的思考が必要になってきます。つまり、その公平な努力の根底には、頭脳、つまり知力は時間をかけ、勉強をしさえすれば伸びるもの、知力が上がらないのは、本人の努力不足、つまり自己責任だ、という論理なわけです。当然、あまり声を大にして言えませんが、読解力や数学的思考に生まれつきの違いってありますよね。しかし、そのことは口に出してはいけないタブーなわけです。なぜか?本人の努力でどうにもならない理由が生まれや肌の色等だけじゃなく、頭の良さまで遺伝で生まれつき決まっているとしたら、今の社会の公平さや社会的成功が努力で勝ち取るものだという大前提が崩れてしまうー。現在のリベラル社会において、知力だけは、生まれつきのものではないとしなくては、社会のルール自体を否定しなくてはならないことになるのです。

 

④知識社会に適応できれば成功者、適応できなければ・・・

かといって、昔の差別と偏見に満ちた時代に戻れるでしょうか。知力を前提としたリベラル社会の方が社会の公平性や努力の報われやすさ、自由に人生を選択する自由、自分の幸福を追求する自由は格段に上がるのは歴史が証明しています。しかし、自由社会のリベラル化は、知力の高い努力家がますます富み、自由を得、社会的地位を上げていき希望する伴侶を得ることまで成功する一方、知力が生まれつき高くなく、努力が頭脳に直結しない方々には、とても厳しい社会が出来上がる。その結果が今現在の富裕層と貧困層の二極化の本当の理由なのです。私たちは、リベラル、自由と引き換えに、自己責任と知力が高いものだけが成功する社会を求め、作り出したのです。

 

⑤知識社会の後にくる、人口AIのシンギュラリティに希望を託す著者。

現在の知識社会、知力が社会的成功を生む世界の不合理を解消するには、知識社会を超えて、人口AIが人間の判断を超え、すべての判断をゆだねられる位発達すれば、人々はやっとそこで知力による格差が無くなり、真の平等と公平が訪れることを示唆して、本書は締めくくられています。かなり絶望的な内容ですが、一理あると僕も思います。しかし、強いものが弱いものの為に情をかける、力を貸す、昔の日本人特有である人情、江戸っ子気質。そういったものまで破壊されるくらいの社会の急激な変化をこの平成の30年で僕たちは経験してきました。昔の差別や偏見は破壊しても大丈夫ですが、昔あった美徳、男気、そういった良いものだけが、復活する事を願うのは、甘い考えでしょうか。

 

このブログは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。これからもどうぞよろしくお願いします。