統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

過剰適応と、感情の昇華。~pepeneeの異常な向上心~

こんにちは。pepeneeです。いよいよ2023年も後半、暑いですね!皆さんも体調管理していただいて、楽しい、自分らしい愛情あふれる幸せな人生にしていきましょうね!

 

今日は、統合失調症他、うつ病適応障害をメインに、特にトラウマのある方に知って頂きたい過剰適応について書いていきたいと思います。

 

社会適応。社会に生きる上で、自律的にルールや慣習を守らなくてはいけない場面は沢山あります。社内でも、上司や目上の人には、敬語を使う、コンビニでお買い物をしたら会計をすます。お金を払う。しかし、過剰適応の場合、周囲の空気を読みすぎて異常なくらい自分の気持ちを押し殺してしまい、周囲の気持ちを優先してしまう。皆さんの中にはそんな経験をされている方はいらっしゃいませんか?

 

例えば、グループの中で”ジュース飲みたいよね”と声が出たとします。過剰適応の人はここで”あ、僕(私)買ってきます。皆さん、なにが飲みたいですか?”とみんなの希望まで聞いて、記憶し、買い出しを買って出ます。所属するグループによってはありがとうと感謝されて、そこで終わることもあるのですが、これが当たり前になってくると、過剰適応の人に毎回買い出しを言ってもらうのが当たり前、慣習になってしまう事も多いのです。

 

そこには、家庭環境で、親の支配、機嫌を窺って生きる事が生存戦略になっていた長い年月が大きく関与しています。親の支配、機嫌を窺う>自分の欲求、気楽さ、という等式が関係しています。

 

①あとで反芻(はんすう)思考して、一人になった時ものすごく腹が立つ。

このようなグループで過剰適応した夜、また過剰適応した自分に嫌気がさしたり、気を使いすぎた自分に腹が立ったりすることがあります。しかし、このように過剰適応した自分を理解していて、今度からは、誰か違う人にジュース買ってきてもらおう、とか、そもそもグループ全員でジュースを買いにコンビニに行くように提案しよう、と考えるのは、過剰適応している自分をしっかり自覚している状況ですので、あとは、軽い勇気をもって、人間関係を破綻させずにやわらかに自分のペースに持っていく会話術や、コミュニケーション術を使う、ないしは人をパシリに使うような嫌な人間関係は、こちらから縁を切る、など手段を自分からとれる訳です。

問題は、グループから抜け出すことが出来ない学校のクラスでの出来事だったり、家族間の虐待、体罰だったリ、兄弟間差別だったりしていて、また、そのような環境で暮らすのが当たり前で、自分自身が過剰適応していることにすら気づいていないケースです。このようなケースでは、自分一人の時に、その嫌な記憶が頭の中をぐるぐるめぐり、(このような状態を反芻(はんすう)といいます)なかなか眠れなかったりします。嫌な気持ちが続くけど、なぜこんな気持ちが続くのかよくわからない、そもそも、嫌な気持ちになっているのに、自分がその自覚がない、酷いと自分はいやな気持ちになっているのが当たり前であると悪意ある人間に洗脳されているケースもあります。

 

②pepeneeの原点、過剰適応を努力の爆発力に変えた経験。

高校生の時、野球部の三人組が私をターゲットにしてきました。大人しそうで、言う事を断れなさそうと判断したのでしょう。”お願いがあるんだけど”そういうと、今日、野球部の三人分のお昼ご飯を購買部で買ってきて欲しいとの事。私は、お人よしの面があるので、”いいよ”と代金を受け取り、言われた通りに購買部まで行ってきました。それが、半年くらい続いたでしょうか、さすがに嫌になってきた私は、買いに行くのを”嫌だ”と拒否しました。すると、その野球部のリーダー格の体の大きい男が、”ウオー”と叫び、机といすを倒し、暴れ始めました。驚きましたが、私は頭に来ていたので、屈しませんでした。それどころか、この野球部三人に何とかして勝ちたいと考えました。

 

③過剰適応を、軽い勇気で努力に変えた。

この経験から、やっぱりなにか力をつけなければ、舐められてしまう、と思うようになりました。野球部に対抗して、私は陸上部に入部する事に決めました。当時は自分が過剰適応を抱えていると自覚は無かったのですが、人から付け込まれやすい事は、いじめのターゲットにされることからなんとなく感じていました。もっと深いところでは、父親からの暴力的、精神的支配、虐待が大本になっているのですが、自分を見つめる過程はその時経ておらず、とにかく、パシリにされた野球部にくやしさを返してやろうという気持ちが大きかったです。毎日毎日、”自分は生まれ変わるんだ””自分を変えるんだ”という気持ちで、血反吐を吐くような練習メニュー。毎日毎日、走り込みました。結果、授業での体育測定でも、当然のことながら1500m走で、軽々一位で記録し、野球部の連中は、だいぶ後ろからゴールしてきていました。くやしさの感情昇華です。嬉しかった私は、手を緩めることなく、陸上部の練習に力を入れました。すると、駅伝メンバーすべてにレギュラーを獲得する事になり、”やればできるんだ!”という自信が私の心の核になっていきました。

 

④pepeneeの異常な向上心

この体験から、私は、何か嫌な事があったら、すぐに自分の出来る事、改善点は何か、そして、努力できることに目を向ける様に生きる事になります。圧倒的な努力があれば、大抵のことは成し遂げられると思っていたからです。そして、自分を信じる、努力する、結果を出す、周囲からの見る目が変わる。という好循環を生み出していったのです。私は、現在、48歳。限界値も経験から、無理できない事を理解できてきているので、昔の様な、血反吐を吐くような努力はもうしていません。しかし、ウォーキング、筋トレ、勉強、読書、母の介護、担当ケアマネさんとの連絡調整、タイピング、英語、毎日の掃除、情報収集等はほぼ毎日続けています。昔に比べて、努力量は少な目になった訳ですが、それでも努力は呼吸をするように行っているのが実態です。

しかし、努力のし過ぎで、統合失調症になった部分も否めません。やはり、適正な努力量というのが、人間にはあるとつくづく思います。私の異常な向上心は、この虐待、親からの支配、から続く、過剰適応から嫌な気持ちを努力に変える感情の昇華から来ていると確信出来ます。

 

⑤心地よい人間関係。

そんな自分を分析し、今までの自分を認め、肯定、受け入れた上で、世界はもっとバランスの取れたものである、というのが最近のpepeneeの肌感覚です。成熟した大人は、他者に嫌な想いをさせたら、何らかの形で自分に帰ってくることを知っています。そして、お金をたくさん稼ぐ事が、そのまま幸せに繋がる訳でもないのが、この世界です。良好な、WIN=WINの関係を築ける事、商売でいえば、売りてよし、買い手よし、世間よしの三方よし、がすべての基本です。人が増えて、自分の偏ったバイアス、虐待、いじめ、支配等より、そうじゃない人生を送ってきた人の方が多数派です。だから、自己犠牲しない他者貢献のさじ加減を探り、実行し、お互いが自立し、お互いが助け合える人間関係を形成する事が、心地よい人間関係を構築し、信頼関係こそが一番大切だと思えるわけです。

 

⑥いつだって、今この瞬間から。

過去がどうだったのか。そして、そこから何を知り、自分というのはどういう人間なのか?また、他者とはどんな存在なのか?口だけ達者な人、寡黙だが、人との約束は守る人。様々な人がいます。相手を理解する事は、その人の立場を理解する事でもあり、人間とは何か、という問いにも近づいていきます。残念ですが、縁を切ったほうがいいような他者も存在し、大切にしなければならない人は、気づきにくかったりもします。そうやって、自己理解、他者理解を深めていって、その中から、しなやかな考えを持って、どうやって関係を良好にして、助け合える幸せな人間関係を築くかーーー。今、どんな位置にいて、どんな課題があって、そして、幸せがどんなに遠くにあると感じても、今日の自分が一番若く、この今一瞬を生きる事でしか幸せになることは出来ない。大丈夫、あなたは幸せになれます。そして、今ある幸せを噛みしめて、今を大切に丁寧に生きる事。それが、誰もが幸せに生きる道だと感じています。

 

このブログは、幸せに生きたいすべての人に書いています。これからもどうぞよろしくお願いします。またね!