統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

心というデリケートな器官2。

こんにちは。pepeneeです。前回は、心というものは現実が辛ければ辛いほど、夢やファンタジーが必要だというお話をしました。今日はその先にある心の仕組みと、現実の危うい関係についてお話していきます。

 

①人の心は夢やファンタジーだけでなく、信じる者が一つあれば壊れない。

人の心は、日常や痛みの多々ある現実に上手に適応する為、夢やファンタジーを持つ事は見てきました。それ以外にも、ある一定の慣習”世の為人の為に役に立つ立派な人になりなさい”や、”お年寄りを大切にしなさい”など、昔から言われている道徳も一つの信じる指針として立派に存在しています。また、神道を中心とした”八百万の神々”の宿る自然信仰、特定の宗派の宗教等、人が信じる者、教義などは心がデリケートな日本人が生きる上でどのように生きればいいのかを示してくれるお手本のような役割を担ってきています。このような信じる者は、たとえこのような教義や宗教に根付いたものでなくても、身近な両親、友達、恋人等がしっかりその人を支えていれば、その身近な人と共に暮らすだけで”生きる事を疑う”必要も無く、すなわち無意識に集団組織の常識を純粋に信じて生きていける訳です。ここでも信じているものは十分にあるのです。

 

②魅力的で成功と結びついた教義、哲学ほど人を魅了する。

ここで、素晴らしい業績と経営哲学を残した、京セラの創業者、稲森和夫氏の成功哲学を見てみることにしましょう。稲森さんの哲学、教えは、とても美しく、シンプルな言葉で表現されています。”人間として何が正しいのか””人間は何のために生きるのか”という基本理念がその背景にあるようです。例えば具体的に挙げると”欲張るな””騙してはいけない””嘘を言うな””正直であれ”など、とても普遍的な考え方のように思えます。稲森さんは、最終的には利己心ではなく、人間の心の奥底にあるとても美しい心根、利他の心にたどり着くために日々精進しなければならない、と説いておられます。その過程で人間は、一人一人仕事を通し、懸命に努力を重ねる中で心を利他の心に達するまで磨き上げていけば、おのずと成功する。と仰られています。この教義、経営哲学自体は鏡のようであり、素晴らしいと思います。しかし、この教義と経営哲学が万人に同じように通用するか、となるとまた別の話のような気がするのです。

 

③確かに、美しい教義と哲学は人間にやる気を湧かせる。

このような教義と哲学を心の信念としてがむしゃらに生きる事で、頑張っている自分自体を全面的に良しとしてしまう気がするのです。問題なのは、このような美しい教義や利他を謳う哲学を、ブラック企業の様な卑劣な集団が悪用するとどうなるか。

 

④まず、そもそも体と心が壊れるまで努力する事が可能な人は少ない。

なにより、就労人口の約80パーセントは自分の限界を超えるようなアスリートの様な気質を持って仕事や勉学に励むことが難しいし、また、そうであってはならないと思います。稲森さんの様な極限の教義、哲学は、出来る人だけがやればいい。問題なのは、心が苦しくて、でも前向きに生きていきたい、と考えている心の琴線が張りつめた状態でこの美しい教義や哲学を信じる事で本当に心が壊れるまで頑張ってしまう人が危険なのではないか、という事です。

 

⑤そして、現実が辛かった過去を背負う人が、美しい哲学を悪用されるとどうなるか。

前回を中心に、人の心は現実が辛ければ辛い程、夢やファンタジーが必要である、と書きました。この夢やファンタジーが、ブラック企業長時間労働や、低賃金の言い訳に使われるとどうなるか。ブラック企業は”お客様の為に精一杯サービスしましょう”だからそのためなら長時間労働も厭わないよね?という論理にすり替わります。また、”努力は尊い、誰かの他者の為に努力すれば、売り上げという数字の結果として表れる”だから売り上げが上がらないのは、君たちの努力不足だよね?もっと努力しないと、低賃金なのは当たり前だよ。という論理にすり替わって自己責任論にされてしまうのです。これは非常に危ない現状ですが、現在の企業のかなりの部分にこの無意識化された考え方が従業員に刷り込まれているような気がするのです。そして、限界を超えて努力させられた結果、心を病み、体を壊す労働者が後をたちません。

 

⑥自分のペースで、自分のやりたいことを仕事にしていこう。

僕は、稲森和夫氏の素晴らしい教義や経営哲学に異論がある訳ではありません。心の修行という毎日の仕事を通して、心を磨き、利他の心を養うのはとても素晴らしいと思います。しかし、その一方ですべての人の生き方の多様性も認めたい。定時に帰って家族との団欒を楽しむ。自分のやりたいことを迷惑をかけずにやる。こういった生き方の多様性も、柔軟に取り入れていく社会であってほしいのです。そして、教義や哲学を悪用するブラック企業は、もっともたちの悪い心というデリケートな器官を欺き、悪用する罪の重い存在だと、僕は思います。

 

このブログは精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。今後ともどうぞよろしくお願いします。