統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

心というデリケートな器官。

こんにちは。pepeneeです。今日は、人間の脳、つまり心がどういった仕組みで成り立っているのかを今までの自分の経験や、蓄積してきた書籍から解き明かしていきたいと思います。

 

①脳は生き延びるために半自動的に生存戦略を展開する器官である。

僕は、幼児期に実の父親から身体的、心理的に虐待を受けて育ちました。しかし、幼児である僕は、この理不尽な環境に適応していかなければ住むところも食べるものもありません。幼児期の僕の脳は無意識にこう戦略を立てたのです。

”まず、この『親』という存在のいう事はすべて従おう。そして、出来るだけ『親』の機嫌を損ねないよう、『親』の顔色を窺い、やばかったら出来るだけ逃げよう。”そう戦略を練ったと思います。脳の戦略はとてもうまく働きました。怒鳴られ、殴られながらも寝るところと食べるものはなんとか確保できたのです。しかし、あまりに幼児に耐え切れない現実を同時に脳の”心”の部分は耐えられない、限界を超えていると判断した脳は、まるでDVを受け続ける病んだ女性の様に、”この『親』は時々(本当はいつも)怒鳴ったり、暴力を振るう事があるけれど、本当は僕のことを愛しているんだ。だってたまに優しくしてくれる時があるから。”そう”心”に思い込ませる戦略を同時に実行し続けていきます。なぜか?自分の唯一の血のつながっている『父親』が僕を愛していない、『母親』の愛情を僕の存在で自分の方に向けられなくなってしまう邪魔な存在であるという不都合な真実を、僕の脳が耐え切れなかった。その一点に尽きるのです。そして、脳は様々な妄想を僕に抱かせる様に仕向けます。辛すぎる現実に対応するために、心を現実から切り離して夢の世界に、目が覚めていても見させる様になります。”乖離”症状の原型です。のちにこの症状がひどくなり、統合失調症が発症します。現実を認識する力が弱く、いつもぼんやり自分の世界に閉じこもっている児童は、このように家庭での児童虐待等、心の限界値を超えている辛すぎる現実を背負っているケースもあります。

 

②”脳”=”心”は耐え切れない現実にさらされると自分の都合の良い”夢””ファンタジー”を作り出す。

この症状は僕の極端な事例だけではありません。好きな異性が出来た人が本当はその意中の異性に恋人がいた場合や、勉強やスポーツに真剣に努力しているのに周囲の期待に応えられない自分がいたりする場合も、あまりに過度なストレスを抱えると脳は本人に乖離を促し、現実とは違った思い込みをするケースがあります。”あの人は僕を好きなはずだ。ただ、彼女はシャイなだけなんだ。”そう思い込んでみたりして、現実とはかけ離れた夢やファンタジーを脳に見せることで、心が壊れるのを防衛しているのです。”勉強やスポーツにこれだけ頑張っているんだ。いつか結果は出る。今は停滞期に入っただけだ。”そう思うことで、自分の才能の現実を見ない行動も似通った脳の構造機能が働いています。

 

③そもそも、夢やファンタジーなしで人は生きられない。

厳しい現実の中だけで、そもそも人は生きられません。例え真実が残酷であったとしても、幼稚園の児童は、大好きな保母さんは僕を常に見てくれていると思い込んでいるし、小学生の少年は、意識もせず、大好きなお母さんが今日あった出来事を受け止め、聞いてくれる。そうして安心した清潔なベッドの上でお母さんの傍で優しい眠りにつく。高校生の青年は、大好きな綺麗な女の子と、夏祭りにいって一緒に見た花火を幸福感に満ちた記憶として蓄え、この幸せが永遠に続くと信じている。日常の何気ない一コマ一コマに、その貴重な夢やファンタジーが現実と混在しているのがこの世界です。結婚式で誓い合う永遠の愛も、スポーツに打ち込んで勝ち取った栄冠も、すべて心の糧として現実の厳しさに打ち勝つための原動力になるものです。

 

④夢やファンタジーこそ心の拠り所。

厳しい現実に直面している人ほど、夢やファンタジーが必要である、それは宗教が長い人類の歴史に根付いている事からも受け入れざるを得ない真実でしょう。心の傷を癒すために、生きづらさを何とかしたい為に、人は、様々な宗教の教えを請い、真実を夢やファンタジーの中に得ようとします。その現実と、夢やファンタジーのバランスが良い事が、ある種の幸せだといえるのかもしれません。

 

次の回では、この話題でもう少し突っ込んで話していきたいと思います。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。今後ともどうぞよろしくお願いします。