統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

宗教の代わりとしてのスピリチュアル。

こんにちは。pepeneeです。今日は人間にとって宗教やスピリチュアルなどの目に見えないものの存在意義について書いていきたいと思います。

 

①過去何千年と続く宗教の欠点。

キリスト教ユダヤ教イスラム教、仏教、神道等様々な宗教は、当時世界の圧政の苦痛から逃れたい解放されたいと願う民が心の中で神を信じる事で救われることが多くありました。その為、宗教は世界中に広まり、神に祈ることが自身を救う事にダイレクトに繋がったと考えられます。しかし、各個別の宗教同士が信仰する神が異なり、また、キリスト教なら聖書、イスラム教ならコーランなど、それぞれが信じる神の教えが異なっておりそのお互いのアイデンティティーがその宗教の特色であることから宗教同士の戦いが歴史を彩ってきました。ビンラディン9・11テロなどは、その背景にイスラム教とアメリカの自由の思想がキリスト教に根付いているものの衝突からきていると僕は考えています。また、ときの圧政者は宗教を使い、自分たちに都合の良い国の統治をおこなってきました。そのことで、貧しいものが祈ることで救われると信じ、祈りながら貧困の中で死んでいく事も多々あった訳です。つまり、宗教は人々に目に見えない”神”という概念を信じさせ、生きる希望を与えたのと同時に、征服者に支配される道具にされることもありました。また、宗教同士の違いによる争いも絶えない状態にあった訳です。

 

②人は目に見えない”何か”を信じないと生きられない。

宗教はそういった性質を持つため、神を信じるという一点において共通しているのですが、聖書やコーランに載っている神話が正確に信じるに値する内容かどうかは非常に危ういです。例えば、聖書の聖母マリア処女懐胎などはその良い例だといえるでしょう。聖母マリアが性交渉なしにイエス・キリストを妊娠した話が聖書に登場しますが、現在の科学と文明の発達した現在ではこの現象は残念ながら否定せざるを得ないでしょう。しかし、このような不完全で危うい”宗教”がなぜこれほど全世界に布教されているのかというと、人は 目に見えないもの=神 を信じないと生きていけない側面があるからだと思います。

 

③科学は現象を数値として事実化出来る。

科学は何世紀にもわたって進歩、発展してきました。いまや、科学の発達は爆発的に、そして加速度的になり、毎日専門家の手によってたくさんの発見がなされ、論文として発表されています。産業革命から始まった蒸気機関から、電気、核融合、そして、インターネットの普及まで、凄まじい勢いで私たちの生活を便利にしています。この科学の発達は私たち人間が”知らない事は知らない”と認める事で、”じゃあ、真実の為にトライアンドエラーを繰り返し、知ろう”というスタンスで発展したものでした。その結果、”目に見えるもの”に関してはデータや統計を駆使して科学的発展を促すことが出来るようになったわけです。しかし、いかに科学が発達しても、人の心を解明する事は出来ません。なぜなら”目に見えない”から。データや統計を取ろうとしてもなかなか出来ないわけです。こんなに便利になり、社会的セーフティネットもありながら今の時代に自殺を選ぶ人の数がこんなに多いのはなぜなのか。つまり、目に見える物質世界の発展の象徴である科学では人の心の幸福は達成できないのではないか。そのようにも思えてくる訳です。

 

④新たな宗教としてのスピリチュアルの台頭。

そんな中、今までの宗教の負の側面を払拭しながらも、人々の心を幸福に導くものとしてスピリチュアルという概念が存在しています。様々なスピリチュアルの本に目を通すと、おおむね、目に見えない”宇宙の意志”や、自分の守護霊様”ハイヤーセルフ”など、様々な概念がそれこそ自由に読み手にメッセージを与えてくれます。最近はやりの引き寄せの法則なども良い例だと思います。このようなスピリチュアル世界では、科学のようなエビデンス(根拠)なしに語られるため、信ぴょう性は低くなってくるのですが、ある人にとっては希望や癒しになるのであれば、大いにスピリチュアルを活用するのもありだと僕は感じています。そして、自分の肌に合わないと感じるスピリチュアルは、自分の主体的意思で遠ざけることが出来ます。スピリチュアルは自分の精神性が未熟だとすべてを信じ込んでしまい、危険な悪徳商法に身をさらしてしまうリスクがありますが、自分の価値観が自分でわかっていたり、自分の心の内容を言語化出来る位の自立性がある人なら、軽い気持ちで、”この考え方面白い、生活に取り入れてみよう♪”といった感じで気軽に取り組め、宇宙や神をカジュアルに捉え、自分の生活を楽しく幸福感あふれるものにするための知恵として活用する視点は素晴らしいと思います。あるスピリチュアルのカウンセラーの方の話では、”とにかく心地よくなりましょう”と説きます。それを信じて読者が心地よくなることを人生に取り入れるなら、僕はそれはそれでありだと思うからです。そして、昔からある宗教と違って、強迫観念がない事もいい事だと思います。”悪い事をしたら、死後、地獄に行く”など、昔の宗教は道徳的な面を担っていたので、こうした考え方は生き方を狭め、堅苦しい考えに固執しがちです。自分にとっての気楽で楽しい人生になるスピリチュアルは”幸福遊び”と捉え、目に見えないものを信じつつ、そして外れても気軽に考え方を捨てればいい。そんな宗教のトライアルアンドエラーの時代に移っているのではないのか、という思いが出てきています。スピリチュアルという”幸福遊び”を通し、人間の”目に見えないもの=神”という性質を遊びにしてしまう時代のフェーズは、とても楽しいもの、とても楽しい時代ともいえるのではないでしょうか。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。これからもどうぞよろしくお願いします。