統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

時代は個の時代へ。

こんにちは。pepeneeです。今日は、日本の文化と世界の主流、この時代の流れの中で、どう生きていけばいいのかを僕の視点で書いていけたらと思います。

 

①専門性ってなんだろう?

昔の日本には、お米を作る人がいて、草履を作る人がいて、みんながみんな何か他者の役に立つ生業を持っていて、働くこと自体が美徳とされていたみたいですね。働かざる者食うべからず、といったところです。この文化自体は素晴らしいものだと思います。実際に、日本人の多くは労働が美徳になっているところがあります。そして、65歳を過ぎても何らかの形で職業に従事している高齢者の方々も大勢いらっしゃいます。しかし、時代はどんどん集団利益から個人の時代に変遷してきています。また、プログラマーやITスキルを持つ人が市場で力を持ち、業界でいえば、不動産、金融、IT分野で適応して働いたほうが他分野で働くより、圧倒的に稼ぎが良い訳です。この今の風潮はあまり良くない面もあるような気がしています。

 

②海外では、働くことが原罪で、卑しい事ととらえられている。

一方海外では、出来るだけ働かず、45歳頃にはセミリタイアして、遊んで暮らしたいというライフスタイルがみんなの願望の中にあるようです。その背景には、キリスト教の考え方にも通じるものがあり、労働が罪や罰、という意識があります。そして、それと相まってとても合理的な思想の自由が加速度的に個人の自由という世界の流れを作り出しているようです。まさしく、個の時代、ですよね。そうすると、出来るだけ要領よくお金をたくさん稼いで、楽して遊んで暮らそう、という価値観の世の中になる訳ですよね。しかし、どう考えてもお米を作ってくれる人は必要ですし、調理を通しておいしい料理を提供してくれる人も必要。お家を作ってくれる大工さんや、服を作ってくれる職人さんも必要です。そういった仕事が、完全になくなって完全にコンピューター化、自動化するのは、もうしばらく時間がかかりそうです。

 

③自分の出来る範囲で、他者貢献。

僕は、自分のスキルや、能力を上げる事には、意外と貪欲なほうなんです。だからケアマネジャーなどの資格を取ったりしている訳なんですが、はっきり言って、介護職が下でスキルが低く、ケアマネだとスキルが上で偉い、なんてことは全くないです。それどころか、日々の高齢者様の日常に深くかかわっている介護職の現場の方の方が、よくわかっているし、世の中に価値を生み出している。だから、最近僕は、技術技術と他者の貢献を度外視したスキル合戦の様な今の風潮に少し違和感を感じているのです。世のため人の為にすべての職業が存在するのなら、自分がその職業に自分の出来る範囲で関わって自分の食べる分、生活する分を糧として生きていければ、あとは何もいらない。そう思えるようになった自分がいます。自分が出来る範囲で、他者の役に立てばいい。

 

④あなたにしかできない事を探す必要はない。

最近では、AIの発達でホワイトカラーの9割の仕事が置き換えられる未来がもうすぐそこまで来ている・・・と不安な未来予測がなされたりしていますよね。でも、ぼくは思うんです。本当に人の役に立っている職業に、証券会社、保険勧誘員、一般的な事務員は入っているのか?という事です。食材を育て、生産する農家、漁業、それを加工し、調理する料理人。毎日の衣を担当する副職人。身近で生活に密着している職業であればあるほど、AIに代替されにくい。逆に、9割のホワイトカラーという実態のよくわからないもの程、AIにとって代わられるのではないでしょうか。もっとシンプルに、昔の日本人の感性の中にあった仕事、労働=他者貢献という意識の中で、無理をせず、自分の出来る事を他者にしたい、そういった素朴な理由で、6~8時間働けばよいのではないでしょうか。

 

⑤合理的にお金を得る事だけを目的にすることは、幸せではない。

欧米の労働は罪であり、合理的にお金を得るために戦略的に不動産業、証券業、金融業、IT産業にばかり働いて、お金だけを稼ぐことに本当の幸せはない気がします。セミリタイア後に、空白の様な人生の余暇を持て余しても、本当にそれがその人の幸せなのでしょうか。むしろ、身近に卵焼きを焼いてくれて、おにぎりを握ってくれて、食べる人が”ありがとう”と感じてくれる身近な労働の方がよっぽど働くほうも、サービスを受けるほうも幸せではないでしょうか。スキル至上主義、お金至上主義、自由至上主義では人は幸せになれない気が僕はします。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。今後ともどうぞよろしくお願いします。