統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

外部(社会)のパラダイムにも歪みがある。

こんにちは。pepeneeです。前回は自分の内側にある固定観念と、家庭環境を中心にしたパラダイムについてお話ししました。僕自身についてもこの内なる歪んだパラダイムを修正するのはとても長い年月がかかりました。また、児童虐待によって取り返しがつかない幼少期、児童期、少年期の大切な記憶が無く、現在でもその影響は色濃く残っています。例えば、障害児童のレクリエーションを職場で考え、プランを練って計画実行するとき。周囲の保育士や職員は自分の幼い頃の記憶をすんなり引き出して再現化する事が出来ます。”じゃあ、今月は5月でこどもの日なので、みんなでこいのぼりを作って全員参加できるように一人一人折り紙を張り付けて作品を作りましょう。また、その準備としてハサミと糊、B紙を用意して・・・”こんな簡単そうな企画、実行が僕にはできないのです。それは、過酷な過去の記憶が現在の自分の意識に上らせないように脳が記憶喪失にさせているのです。あまりに過酷な過去を持っている人に特徴的なのは、ある辛い部分の記憶が、部分的、または全体的に消去されているケースがよくあります。その人が精神をぎりぎり正常に保つために精神に異常をきたしやすい記憶は潜在意識から顕在意識に上らせないように脳が安全装置をかけている訳です。

 

さて、そんな僕が今度は大学に入って寮生活という集団生活をしたり、社会に出て労働をするという段階がめぐってきます。家庭環境によって歪んだパラダイムを習得してしまうように、社会生活でも、様々な制度問題、慣習、日本独特の時間経過(歴史)によって人が幸せになれるような環境が用意されているとは言えません。そう、家庭でもパラダイム形成に歪みがあり、またさらに社会や学校にいってもパラダイム形成に歪みが生まれる要因が山ほどあるのです。

 

例えば、学校に根強くはびこるスクールカースト。小学校の時は足が速かったり、積極的な活発な児童が上位になり、なんとなく大人しい内向的な児童は下位になりやすい。そして、中学高校になると偏差値で上位下位を明確に判断する教師や親。また、容姿によって無意識にいけてるいけてないを判断するのは思春期特有ですよね。良い大学を出ているのか、高校卒業なのか、中学卒業なのかは社会生活で常について回りますよね。さらに具体的なのは、大学卒業時点で新卒一括採用をして、年次で先輩後輩を決める風習は今も就職において根強く残っていますよね。いくらアメリカをまねている日本といっても、未だに転職が多いと印象が下がることも多いです。こういった建前では全員平等、公平な社会と表面では言っていても、多くの社会生活を送る人たちの意識では、本音では自分はAランク、あの人はCランク、と格付けをしているのが普通です。職業に対しての偏見もすさまじい。

 

ちなみにpepeneeは社会最底辺の介護、福祉職で這いつくばってきました。このような社会の歪んだパラダイムはまた我々の意識に差別や偏見、見えない同調圧力として心を圧迫しています。

 

実は、この社会のパラダイムの歪みに対しての僕の答えは、持ち合わせていません。あまりに複雑で、根深い問題のため考えがまとまらないのです。ただ、正しいかどうかはわかりませんが、僕の社会の歪みに対する建設的な対応策と行動は、”なにくそ!負けるもんか!”でした。社会に歪みがあればあるほど、自分に統合失調症というハンデがあろうと、それを悔しさというバネに変えて、知識、技術、経験を深めていく・・・というスタンスで生きてきました。厳しい世の中ですね。しかし、この”なにくそパラダイム”もある段階から”これでは幸せになれないな・・・”と気づき始めます。次回のブログでは社会の歪んだパラダイムの中で、どういう風に生きていけば幸せを感じて生きていける様になるのか、を考えてみたいと思います。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるためのヒントを書いています。今後ともどうぞよろしくお願いします。