統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

統合失調症と付き合いながら働く4-3。

こんにちは。pepeneeです。前回の続きで、僕が登録ヘルパーで働いていた時期のお話をもうちょっとしていきたいと思います。児童福祉に関わる様になった時期から自らにセーフティベースの原則を課して日々利用者様(障害児童達)に接する様にしていました。前回では、セーフティベースの原則で、障害児童達の心の変化、行動の変化、そして、セーフティベースの原則を実行していた僕自身もより良い変化が起きた話をしました。今回は、ある一人のR君という知的障害を持った男の子にセーフティベースの原則を施したことで、どうなったか、どんな事が起こったかをお話ししていこうと思います。

 

R君は、初めて出会って2年半程お世話をさせて頂きました。出会った頃は小学六年生、まだあどけない可愛さが残る、失語症が含まれる知的障害でした。初めて会った頃のR君はとにかく気に入らないことがあると噛みついたり、暴れたり、養護学校でもR君が機嫌を損ねるとR君一人に対して学校の先生が3人がかりで対応していた程の問題児扱いされていた子でした。言葉が喋れないのは知的障害もあると思いますが、R君のお母さん等、周囲の大人も知的障害の病院の診断を聞いて発声、発音、話す教育をあきらめてしまっている部分が大きいのではないか・・・そんな風に僕は感じていました。なぜなら、周囲の環境の空気を読むのが長けていたり、R君と一緒の部屋にいて、ちょっと用事があって部屋の外に一瞬出たりすると、すかさずR君は内側からカギをかけて慌てる僕を見て部屋の中から笑うほど、知性あるいたずらをよくしていたからです。お母さんがいる家庭にR君の居場所がないのはお母さんの様子を見ていて感じていました。R君には離れた妹がいて、その子は健常児で、お母さんの愛情はその妹さんだけに注がれていて、どう育てていいのかわからないやっかいなR君にはお母さんの愛情が行き届いていないのは明らかでした。そんなR君ですから、家庭がセーフティベースになっていない事も明らかです。その家庭環境から、安定しない情緒を抱えて、課題や集団生活等を強いられる養護学校にいても、居場所が見つかるはずがありません。喋ることもできず、自分の寂しい感情や憤りを暴れることで表現すること以外R君にはなすすべがなかったのです。

 

僕は、毎週R君を預かるとき、まず、彼そのものすべてを肯定し、受け入れる事から始めました。時には、一緒に散歩をしているときにお尻を指さして注意を惹きます。短パンのなかで排便している訳です。歩きながら排便するので短パンから便がポロポロ落ちて足を汚します。他の職員に協力してもらいながら車で迎えに来てもらい、衣服を洗濯し、体を洗いました。それは、R君から、この人はどこまで僕を受け止めてくれるのか、どこまで信頼できるのか、それを試している行動に映りました。僕は責めず、ただ、淡々とR君の体を綺麗に拭いてあげました。とにかく、大人の中でも、信頼できる人はいるという事をR君に教えなければ始まらない・・・そう思ったのです。しかし、自分を傷つける行為や、他人を傷つける行為をしそうになったら、お尻を叩いてでも辞めさせ、叱りました。セーフティベースとダメなことはダメだと叱ることは、一見矛盾するようですが、この兼ね合いの判断と、毅然と叱るときは叱る事は、セーフティベースの原則の肝だと思います。僕は、R君がガラスの窓を思いっきり蹴っているときは激しく怒りました。R君の脚がガラスが割れて大けがをすると思ったからです。また、一緒に外を散歩している時にも、車が来ているのに道路に飛び出したときは、叱りました。そういう、本人を大事に思っているからこそ叱る姿勢は、本人に必ず伝わります。やがて、R君は心、情緒が落ち着いていき、暴れる事も無くなっていき、(僕がいるときですが。)靴を揃えて玄関から上がったり、電子レンジの使い方を学んで行ったり発達が促されていきました。やはり、躾や教育は、セーフティベースが機能していて、そこから派生して身につくものなのです。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。今後ともどうぞよろしくお願いします。