統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

困難を打破するべき時、自然の流れに身を任せる時。

こんにちは。pepeneeです。今日は、今までとはちょっと趣を変えて生きるスタンスについて書いていこうと思います。

 

僕はこれまで幼少期から身体的、心理的虐待を受けて生きてきました。さらに小学校までは、父の会社の都合上、よく学校を転校していました。その都度の友達と慣れ親しんだ環境から離れるストレスは相当なものでした。また、中学校ではいじめが始まり、悪い仲間とつるまなくてはいけない環境に陥りました。その前後、母は交通事故にあい、入退院を繰り返すようになっていきます。家庭に母が居ない影響は父親にも悪い影響を及ぼし、いつも不機嫌な帰宅をするようになり、腹いせのように母の代わりに家事をする僕を殴ったり、怒鳴ったりされたのを覚えています。

 

その後、高校に入り、人生のターニングポイントに出会います。高校陸上部への入部です。”これまでの自分を変えたい!””もっと積極的で明るく自信のある自分になりたい!”そう思って陸上部に意を決して入部しました。そこからの毎日は鬼のようなトレーニングの日々。朝7時から2時間朝練、授業が終わると午後連、トレーニングメニューは毎日ハードなランニングの高負荷メニューでした。ところが、歯を食いしばって”ここで負けてたまるか!必ず自分を変えてみせる!”と毎日厳しい練習メニューをこなし、自主練もしていました。そうすると、見る見るうちにタイムが良くなり、一年生の後半から三年生に混ざって駅伝大会のレギュラーに抜擢されるようになりました。こうして、”努力すれば、頑張れば必ず結果として報われる”というパラダイムを自分の主体的な行動で学ぶことになりました。その流れは、自分の第一志望の大学に入学するときも同じ結果を招くことになります。僕は、アルバイトをしながら予備校に通い、一年の必死の勉強で第一志望の大学に入学することが出来たのです。

 

そして、”努力すれば、頑張れば必ず結果として報われる”というパラダイムは、陸上競技のレギュラー獲得や、大学進学の大きな二つの成果で、ゆるぎない確固とした自分の生き方の核になっていきました。

 

しかし、そんな僕に28歳の時、統合失調症という最大の難関がやってきます。ぼくは休みながら、病床の床に就きつつ、なぜ?僕が精神病になったのか?頭の中でぐるぐる考える日々を過ごすことになります。僕は、このまま人生をリタイアするのは悔しかったのです。そして、もがきながらも働かない頭を懸命に動かして、介護、福祉の世界で必死に仕事にあたりながら資格の勉強に時間を当て、何とかケアマネにまでなることが出来ました。そこにあったのは学生時代から自分に叩き込んだ”努力すれば、頑張れば必ず結果として報われる”というパラダイムでした。結果だけを見れば、そのパラダイムで成功した側面もたくさんあるでしょう。統合失調症をある程度克服し、資格の数々を取得し、どこの働き先でも働ける自分を作り上げれたのは、自分の努力が非常に大きいでしょう。

 

しかし、頑張る、努力する、歯を食いしばる、一生懸命我慢する。これらは本当に美徳でしょうか?この自分に対する苦しいパラダイムこそが、苦しい現実を作り出しているのではないでしょうか?もちろん、希望の為、自分を変えたい為、挑戦したい為など、前向きに飛躍するときはその考えが大切な時期はあると思います。しかし、人生は楽しむため、幸せになるためにあるのではないでしょうか。では、常に頑張る、努力する、歯を食いしばる、一生懸命我慢する、では、いつ楽しみ、幸せを感じれるのでしょう?

 

今、この時を楽しむ、幸せを感じれる自分であることが大切なのではないでしょうか?

 

僕はこのことに気が付いて以来、頑張る、努力する、歯を食いしばる、一生懸命我慢する、という荷物を少しづつおろしていこうと考えています。苦しみの先には、新たな苦しみしかないことに、わずかながら気づき始めたからです。これからは楽に、楽しく、自分が幸せに生きていく事にフォーカスして生きていきたい。そう思っています。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。これからもどうぞよろしくお願いします。