統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

今の自分の足っている場所は、今までの自分の結果。

こんにちは。pepeneeです。今日は、今までの自分の行動や、決断の結果が、今の自分の現在の立ち位置に繋がっている。という事を書いていきたいと思います。

 

①人はそれぞれ、違うものを背負って生まれてくる。

人はそれぞれ、その人には選ぶことが出来ない状況下で生を受けます。自分の両親であったり、身長、体重、容姿、性別など、ほとんど自分の努力では変えられない要素をもって生まれてきます。その環境こそ、その人の背負うべきスタート地点なわけです。過酷な環境は時代によっても違ってきますし、人との出会いもほぼほぼ自分では決められることなくあわただしく人生は進んでいきます。人によっては障害や、差別を受ける環境に身を置く魂もあるかもしれませんね。

 

②その与えられた自分だけの課題、荷物をいかに捉えて運んでいくか。

人生は、その決められた課題、背負うべきものをどのようにして自分が解釈して背負っていくか、それとも背負わずにいくことを選ぶのか、それを神様に試されているような気がします。例えば、僕は小学4年生まで、ほとんど毎年転校して、なかなか友達が出来ませんでした。もちろん、幼少期の虐待によって現実世界との乖離は幼少期からありました。当然、友達付き合いもおぼつかず、圧倒的に周囲と経験値が変わっていきます。休み時間は給食の後、みんなはグループを作ってグラウンドでサッカーやドッヂボールを楽しんでいました。僕は、教室で一人、空想にふける変わった子供でした。でも、それは僕に与えられた自分だけの課題、荷物だったわけです。この乖離のおかげで、最悪の家庭環境でも、”生き延びる”ことが出来たのですから、感謝です。もちろん、いじめもありました。しかし、その辛い現実から、どのように自分は行動するか、いじめに対して立ち向かうのか、逃げるのか。友達を作るのか、自分だけの時間を確保して得意な分野を伸ばすのか。その選択を選べない環境から唯一”どのように生きるのか”だけは選べるわけです。

 

③恐怖に立ち向かうのか、逃げるのか。自分の心の声に従うのか、無視するのか。

僕は、今まで、母の教えである”世のため人の為に役に立つ人間になりなさい”と教えられてきました。そして、曲がったことが大嫌いな母の勇気を見て育ちました。僕を虐待した父に、まさに反撃するときが、ちゃんとやってくるのです。僕が高校生の時でした。またも些細なことで家庭内に暴力が吹き荒れていました。弟は殴られ倒れている。母も呆然としている。僕は、暴れるだけ暴れた父のいる部屋に行きました。両足は震えていました。”なんか文句あるのか!なんだその目は!”僕は父にその時決闘を申し込みました。家の近くに小さな川がありました。外に出て、一対一のガチンコ喧嘩です。僕は、もし、僕が勝ったら、弟や母に二度と暴力をふるうな、と父に約束させました。父は身長175センチ、体重は当時85キロは超えていたと思います。僕は、身長178センチ、体重63キロ。圧倒的に不利でした。しかし、当時高校に入ってから陸上部に入部していて、毎日走って足はガンガンに鍛えていました。父の重いパンチを両手でガードし、距離を見て、父の弱点である脂肪のついたお腹にキックをかます。ヒットアンドアウェイで、父のパンチをガードと足さばきでよけながら、離れる際にお腹にキックを確実に入れていくー。”もう、やめよう。”ふらふらになった父が放った言葉でした。僕は、父に勝利したのです。そして、それ以後、父の家族への暴力は無くなりました。

 

④愛、勇気、正しい心。信じるものは人それぞれ。

人は、環境を選ぶことは出来ません。しかし、その限られた中で、何を愛し、何を守って生きていくか、という生きざまは、選ぶことが出来ます。そして、自分の選んだ行動と歩んだ道の積み重ねで、今という現在に繋がっているー。そう感じざるを得ないのです。こんなたとえ話があります。昔、鳥には羽がありませんでした。そこで、神様は鳥たちに、自分と同じくらいの大きな荷物を背負うように命じました。鳥たちはこんな重たい大きな荷物を背負うのは苦しいからいやだな、と思いましたが、大好きな神様のいう事だったので、その荷物を背負う事にしました。やがて、その荷物は鳥たちの”つばさ”になり、鳥たちは、大空を駆け巡る存在になったのでした。

 

このブログは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。これからもどうぞよろしくお願いします。