統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

中野信子 著 努力不要論を読んで。

こんにちは。pepeneeです。今日は、ずっと気になっていた”努力不要論”という本を読んだので、早速感想を書いていきたいと思います。

 

この本の中で、中野信子さんは努力は二種類あって一つ目の努力は、ただ、周囲に合わせてさも努力してますよ、とアピールする努力は全く意味がなく、結果が伴わない努力はしない方が良い、と話します。特に、婚活女性の女磨きなどその典型で、安定した結婚という目的にフォーカスして努力をしているとは言い難く、そのほとんどの努力は無駄になる、というものでした。ダイエットでも、しっかり食事管理をして一日の摂取カロリーを計算せず、ただやみくもに昼食を一週間だけ抜いて、努力している気になっても結果は出るはずもなく意味がない。また、努力の方向性をそもそも間違えている場合。結果を出したいがために無駄に筋肉をつけすぎてしまった元プロ野球選手の清原選手など、過度な筋トレの為、肩ががちがちに固まってしまい、けがが多くなってしまったケースなど、結果が伴わない努力は無駄だ、と言います。

 

さて、では、意味のある努力とは何か、それは、目的に対して適切な戦略を立て、その戦略に合ったタスクを日々継続して目的に達する努力であると話します。①目標を立てる ②そのための戦略を立てる ③実行する この三つをしっかり意識して、成果を出すためにする努力は良い努力だと話します。これは、英語を話せる様になる、や筋トレを習慣化する、ということにも当てはまります。まず、しっかり具体的な目標を立て、そのための戦略を持ち、(英語なら、スピーキングが足りないから、ネイティブの講師にオンラインで継続してレッスンを行う等)そして、しっかり自制心を持って実行すること。それが大切だといいます。

 

しかし、成果が出せる努力も、生きるために必要な合理的な能力を獲得すること自体、野蛮だ、とも著者は言います。しかも、目標も戦略もないなんとなくぼんやりとしたダイエットのための昼食を一週間抜いた、などの努力の場合、その努力自体を行った自分に価値があると思ってしまい、結局本人も自己満足でしかなく、効果も出ない。そんな努力などする必要がありません。さらに、生きていくために身につける努力は稼いだり役に立つという計算が頭のどこかにあるもので、非常に野蛮であるといいます。本来は役に立たない事、役に立たないかもしれないけれど、やっていて楽しい事をやることこそ本当の豊かさである、ともいいます。江戸時代、遊びは粋だった。そのような解説もなされています。野蛮な努力は、”社会にとって役に立つ歯車になろう”とすることと同義だ、と話します。そこには人間性の豊かさも、潤いもなく非常に人生を味気ないものにすると。

 

努力をするより、もともとある自分の素質を才能にする工夫が大切だそうです。例えば①自分がすごく怠けものである。 ②物覚えが悪い。 ③なかなか学習できず同じ失敗を繰り返す。これらも、見方を変えれば①は他者からのサポートを受けやすい、という長所になりえる。②は適切に忘れる能力は、嫌なことから早く立ち直れるという長所になりえる。③は何度失敗してもへこたれないという強みになりえる。このようにむやみに努力をして、社会の歯車になるために苦しい努力をしてブラックな社会に搾取されるよりも、自分の特性を強みに変える工夫こそが大切である、と著者はいいます。また、他人の才能を生かし、いかにみんなで協力して事を進める事の方が良いか、つまり、なんでも自分一人でこなす努力をするより、他者の協力を仰ぐ力や、他人の能力を見抜く力、つまり”努力をしない努力”こそ大切だ、と締めくくっています。

 

歯を食いしばって努力をするより、楽しく生きる事の方が尊い

 

そんな結論の本でした。まだまだこの本の中身はたくさんのトピックにあふれているので、一度、興味のある方は一読する価値があると思います。この考え方は、ただ、やみくもに努力すること自体を称賛する空気が日本にあるせいで、精神的に追い込まれてしまう人々の心の処方箋にもなりうる本だと思いました。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。これからもどうぞよろしくお願いします。