統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

人は愛が無いと生きていけない。

こんにちは。pepeneeです。今日は、時代のデジタル化の中で、公平性、中立性が担保される社会になることは歓迎されるが、人と人の愛着関係は希薄になる事の危険性について、書いていきたいと思います。

 

①集団形成を成し、群れの中で生活する事が前提の愛着システム。

愛着とは、なんでしょうか。群れの最小単位である家族から、安全な場所を提供され、主に母親から適切な養育を提供されることで、母親から子供に安定した情緒、人との健全なつながりを形成する力を身につける事が愛着だと言えるでしょう。その愛着には、このブログで何度もご紹介しているセーフティーベースの原則を守り、児童の安全と主体性をしっかり伸ばし、心を安定させる子育てを必要とします。しかし、愛着システムには大きな欠陥があり、群れを形成する上で、必ず弱者や少数派を差別し、いじめることで自らの群れの結束力を高めようとする特質があります。この昔からの非公正性、非中立性が社会的に大きな悲劇を生んできた背景があります。日本では、イエ、ムラと呼ばれる悪しき因習が、強い人と人のつながりと引き換えに呪いの様に私たちを縛り、常識とされてきました。しかし、現在では、愛着そのものが機能不全になっている家庭環境も多く、そうなってくると愛着が手に入らないので悪しき因習は守る必要性がなくなっても不思議はない訳です。

 

②愛着システムの最悪なケース。

僕の家庭環境の様に、幼少時、虐待されて育った場合は、この愛着の最悪なケースです。つまり、無秩序型、どんな時に可愛がられ、愛情を注がれ、どんな時に殴られ、虐待を受けるか親の気分次第になってしまうので、子供は愛着を人質に取られ、愛着の為ならどんな理不尽な事にも耐えるような性質の人格に育っていってしまいます。この場合、始めから愛着に期待しない、脱愛着、つまり回避型の人間の方が精神安定上有利です。”愛情を求めようとすると、理不尽な事を要求される。なら、自分の力だけで生きていく術を身につけ、愛着そのものを求めなければいい。”これが回避型の人間の生存戦略です。

 

③現代では、IT技術も追い風に。

また、僕の様に愛着に未練が残る無秩序型の対人関係は、ほぼ他者に服従を基本としてしまいます。当然、いじめや差別を安定した愛着を持った群れから受けてしまうのは当然です。しかし、回避型の人間も、人と人のつながりを始めから拒否することで生存している訳で、群れをつくらないという弱点がありました。その為、社会の多数派を占めていた安定型愛着の群れからは、ことごとくいじめや差別のターゲットにされていた訳です。しかし、社会の環境は大きく変わりました。はじめから愛着が無い家庭環境が多数派を占めだしてきているのです。虐待の件数も増え、またそこまでいかなくてもネグレクトをされている児童や若者の数が圧倒的にこの地球上に増え始めてきているのです。そして、虐待を受けた無秩序型は、精神疾患の末、自立をすることで、ある意味、愛着を期待しなくなり、やがて回避型の人間に変わります。はじめから愛着を期待しないほうが、まだ心が安定してしまうのです。そして、社会はこのような回避型人間が成功しやすい社会構造になってきています。マイクロソフトビルゲイツの様に、個人で成果を出す環境を作り、大きな回避型のスタイルを持つ技術者を高額な給与で迎えています。社会は非生産的な日本の”家族型経営”が敗北を喫し、カルロス・ゴーン率いる(率いていた)日産などの効率性重視、成果公平型経営を推し進める企業が強くなってきました。昔の悪しき因習や、いじめ、差別をシステムの中に組み込んでいた愛着安定型の人間が住みづらい社会になってきたのです。そして、生活スタイルも、群れではなく、個人が楽しめるインターネットのゲーム世界に回避型人間を中心に広がっています。それは、もはや回避型の人間だけではなく、かつて愛着安定型だった人間も、スマホゲームに熱中する時代です。愛着は失われかけているのですが、過去からの因習であった、集団や群れが形成されるうえで必要悪だった仲間外れ、いじめ、差別はある意味すぐに可視化される時代になった訳です。

 

④しかし、愛情が無くては、生きる意味が無い。

これまで、少数派だった愛着障害の人間、特に回避型人間は、ある程度その人口比率が上がり、決して少数派ではなくなった背景と、人付き合いではなく、仕事の成果で評価が上がる社会システムの形成のおかげで、ある意味では安定型愛着の人間を圧倒してきているのが現状かもしれません。しかし、ここで問題なのは、社会の公平性、中立性を完全に推し進め、愛着が失われると、人は生きる意味を失います。愛。愛。愛。人が生きていけるのは、愛があればこそ。しかし、愛が存在するから、差別やいじめ、争いが起きてしまうというジレンマ。そこに、”愛なんかいらない”と宣言した回避型人間。

 

⑤公平性を担保しながら、愛情を分かち合える世界に。

突然の自殺。生きる意味の喪失。それらは、”自分はこの世界に何の必要もされていない”と感じている孤独の裏返しなのかもしれません。このデジタルワールドを推し進めていく事は、もはや止められないでしょう。しかし、その先に、デジタルを使いこなし、人々の悪しき因習を解き放った純粋な愛情交換ができる世界が広がっていないでしょうか。人々が共通する価値、自由、平等、博愛、人権等、大切で美しい理念に基づく愛情交換が、インターネット世界で実現できないか。しかし、人はアナログの肌のぬくもりを忘れられないかもしれませんね。

 

今日の内容は、岡田尊司 著 「ネオサピエンス」を読んで、自分なりの感想を述べてみました。興味のある方は、読んでみてくださいね。

 

このブログでは、精神疾患等に罹った方が幸せに生きるヒントを書いています。これからもどうぞよろしくお願いします。