統合失調症のケアマネジャー

人生の大半をメンタルヘルスに費やしてきた男性の経験談

この世界を愛せるのか。

こんにちは。pepeneeです。今年一回目のブログ記事になります。あらためまして今年もよろしくお願いします。

 

アドラー心理学をかじってみて

最近、心というものにすごく興味が湧いてきています。精神科の医師の方々も日々臨床の現場で”心とは何か”を疑問に感じ、そして新しいモノの見方を勉強し、理解し、自分の世界の捉え方を構築しなおしています。この心に対する探究は、終わることがないのかもしれませんね。

 

アドラーは、生きていく上で四つの指針を提示しました。

1、この世界と調和して生きる事。

2,自分には能力があるという事。

3,自立して生きる事。

4,世界はあなたを祝福している事。

一つ目は、自分の欲求と社会の秩序をバランスよく保たせる意識をセルフコントロールで行う事だと捉えています。例えば、お腹が減った!ラーメンが食べたい!でも、お金もなしにラーメン屋さんに行って社会活動をしているラーメン屋さんから食い逃げしてはいけませんよね。例が貧弱ですが、僕たちは社会のルールを守りながら、自分の欲望と折り合いをつけなければいけません。

二つ目は、自分の可能性を信じる事だと解釈しています。自分という存在は、果てしない能力、才能がある、そして、社会に大きな影響を与える事が出来るという事だと思います。自分の適性をしっかり把握して、絵や音楽が上手い人はアートで、文章を書くことが上手い人は書くことで、体が頑丈な人は体力仕事で、心が繊細な人は、相手のニーズを上手にくみ取って営業職で、様々な角度から適正を考え、適材適所で自分を開花させていって社会や家庭の営みを豊かなものにしていければいいと思います。

三つ目は、自分を自分で養い、経済的な自立を図り、また、精神的にも自立する事だと思います。この経済的な自立は、親元を離れる事も含まれますが、失業給付や、各種公的年金、児童手当、生活保護等社会の福祉制度、福祉サービスを利用するという事も自立に含まれると考えています。社会制度を勉強し、手続きを自分で行い、給付を受けるのも立派な自立ではないでしょうか。そして、精神的に自立する事。これは、自分を大切にしながら、自己犠牲せずに他者に貢献する事、社会に貢献する事だと思います。僕なら、掃除が苦手で、自分の部屋を掃除する事だけで精一杯ですが、社会では、カウンセリングの様な形でお金を稼ぐ事をしています。統合失調症の当事者としての経験は、他の精神疾患の患者さんのお話を聞いて、その患者さんの感情を受け止め、今の現状を言語化し、伝える。そこから具体的にどうすれば幸せになるのか、さらに良い人生を歩むことができるのか。そこの部分を解決すると、あとはお金が入ってきます。どうやら、僕は人と関わるのが嫌いではないようです。あんなに人間関係で傷ついてきたのに、それでも、一人は寂しいことにこのコロナ禍で身にしみました。だから、掃除でお金を稼ぐのではなく、他者のお話を聞き、解決策を一緒に考える仕事で、社会貢献しています。

四つ目、さあ、これが問題です。はたして、この世界は私たちを祝福してくれているのでしょうか?僕の様に、虐待を受け、いじめを経験し、統合失調症に罹患した自分が受け入れられるものか?それは、やはり抵抗がある方も大勢いらっしゃる気がします。しかし、人は年齢を重ねるうちに成熟していきます。虐待をしていた人間も、やがてその過ちに気づき、行動を変えます。また、学生時代(最近では職場でも?)いじめの加害者だった人も、今度は自分がいじめの被害者になることも少なくないはずです。そのような中で、人は内省し、他者を許し、受け入れ、また不完全な自分を受け入れていくのだと思います。もう一つ、不思議なのは、自分の脳の中で考えた事は、現実に反映されるのもまた事実です。現実は、最近の世界情勢からみても、ロシアがウクライナに攻撃をしている様に、人は殺伐と冷たく残酷な行為をし、また、自分が傷つかない様に見て見ぬふりをしているのかもしれません。しかし、人の脳は、現実に打ち勝ち、愛や信頼、絆、希望を描き、真実を作ることができると思うようになりました。現実は、厳しい。それはそれでいい。しかし、その現実をある程度知ったなら、自分の内側から湧いてくる自分の思いが一番大切だと思うようになりました。人が愛や勇気を行動に移すことでしか、現実は変わらず、現実はなんらなにも生み出すことがなく、また、人が生きる意味も、現実には存在せず、必ず人は愛を求めているのだと。現実にすべてをゆだねるのではなく、明け渡すのではなく、現実を変える為に自分のうちにある愛や勇気、希望を行動に移すこと。その中から、世界はあなたを祝福している、という状態を作り出すことができるのではないでしょうか。

 

②現実であるこの世界をどこまで愛せるか。

社会で生きる大人をみて、まるでゾンビの様にうつろな目で仕事に向かう人々の群れ。そして、社会的に法律違反であるサービス残業もまだまだ存在し、また、己の保身のために、理不尽な指示を下してくるトップダウンのピラミッドシステム。その人間性を無視した社会の決断は、現在の非正規雇用を拡大し、問題を先送りする姿勢は、少子高齢化を推し進めてきた。確かに、悪い種をまけば、悪い結果が出る様に、あらゆるところで不具合が生じてきている日本社会。いや、海外はもっと悪いのかもしれない。でも、それでも、そんな自己保身を第一に考える人々の群れに対し、”良い悪いではなく、人とはそういうものなんだ”と達観することができるか。そして、愚かな決断を繰り返す姿を、滑稽な姿だと捉えて、”はは、またやってる”とどこか憐れみを含む愛らしさを抱くようになるか。現実に侵された人々の群れを、どこか愛せる自分。なんだか、人間を憎めないと感じる自分。そして、自分が出来る事を淡々とやっていき、愛のある行動をするなかで、また愛のある実りを得る中で世界を”自分”が変えていく。大げさじゃなくていい。日々を自分のうちにある愛や、自己犠牲をしない他者貢献で埋めていく。そんな中で世界は私たちを祝福している状態に近づけるのではないかと思います。

 

イラストを楽しみにしていただいている方、ありがとうございます!現在、鬼滅の刃の炭治郎を描いています!また、完成次第アップしたいと思っています。

 

このブログは、幸せになりたい方に向けて書いています。今後ともどうぞよろしくお願いします。